2011年12月20日火曜日

ご降誕のご挨拶

JCCS東京大司教区支部 スカウト担当司祭のJ.C.ロワゼール神父様よりメールが届きましたので
紹介させて頂きます。
飯盛


親愛なるみなさん
主の平和
いかがお過ごしでしょうか。
一人ひとりに 別にクリスマスの挨拶をする方がよろしいでしょうか。でも、便利なネットでやらなければ、おそらく年が越してしまうので、こんなかたちで失礼させていただきます。
どうぞ、恵みの多い降誕祭と新年をお迎えください。
こころと祈りをこめて

ロワゼール

追加:もう二年前の写真ですが、教会の上に飾っていたイルミネーションが、こんな不思議な形で、
写されました。踊っている楽譜の様子、いかがのもんでしょうか。写真としては心配ですが。

































愛している、こころから

 ある田舎の町に、教会の教えをよく知り、休みなく教会を通っていた一人の貴婦人がいました。彼女は気前の優しさで、ある牛飼いの娘に聖書の教えを覚えてもらおうと決心しました。「あの娘は、ただ牛を飼うことしか知らない無学者のものだ」と貴婦人は思い込んでいたわけで、ちょっと誇らしい気持ちで彼女の家へ向かいました。婦人は、早速、あれこれを教え始めてまもなく、娘が手を上げて「奥様、すみませんが、ちょっと質問してもよろしいでしょうか。主祷文(主の祈り)を終わりまで唱えるように教えてください。この祈りの最初のことば『わたしたちの天の父よ』と唱えてから、続けて何も言えなくなってしまいます。あたしみたい貧しい、惨めな人のことを思い出してくださる天のお父さんがいらっしゃると思うと、いつも泣いてしまいます。本当です。あたしは、一日中、喜びの涙を流しながら、牛の番をしています。だから、この祈りの続きをなかなか言えない。どうしたらよろしいでしょうかを教えください。」
牛飼の娘の質問に貴婦人は驚き、感動しました。まったく、自分の思い込みに反して、あの娘が、自分より、神さまのことをよく悟っているではないかと感じました。そしてまた、自分は、学問なんて、なにも持ってないあの娘のように神さまを体験したことがあるでしょうか、涙が出るほど神様から愛されているのをそれほど感動したことがあるでしょうかと深く反省しました。
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 「子たちよ、おん父がどれほどわたしたちを愛しておられるかを考えなさい。わたしたちは神の子と呼ばれています。そのとおりです。愛するみなさん、わたしたちはほんとうに神の子です。」(新約、ヨハネの第一の手紙31-2
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これほど、単純な教えはないでしょう。神から愛され、神のいのちがわたしにあり、わたしたちがみな、慈愛に満ちた天の父の息子、娘ということ、そして、おかげで、みな兄弟姉妹であることの教えは、なぜ難しいだと言えるでしょうか。
わたしは、いつ、その事実を認め、あの娘のように泣くほど感動するでしょうか。いつ、花の美しさの中に、幼子の眼差しに、すべての気高いもの中に、父なる神の愛を見出せるのか。いつ、馬小屋のイエスさまの声を、優しいこころで聴きうけるのでしょうか。「愛しているよ、あなたを、こころから」その声、クリスマスのメッセージをいつ、素直に受け入れるのでしょうか。

大震災、大台風、大洪水の年が終わろうとしています。天と地のエネルギーが、人間の作る社会の秩序を試しているような年でした。おかげで、私たちのお互いの係わり合いを重んじ、ちからと手を合わせ、立ち直って行こうとしています。これからも忍耐強く、助け合いの精神をもって歩き続けなければなりません。
しかし、この天災と人災からの教訓を忘れ、何もなかったように、ずっと同じ思想、同じ生活様式で、被造物を使い果たしてやろうとしたら、ますますこの青い惑星の地球が破壊しないと保証はありません。天の父は人間の犯した罪を赦す方であって、けっして復讐なさらないのです。しかし、壊された大自然が壊されたままの姿になり、回復できない状態になりかねます。それは、大自然、そのものの「復讐」だと言えるかも知れません。
 結局、人はもっと謙虚にならなければ。そこで、飼ばおけに寝ているキリスト(救い主)の弱い姿を見つめながら、何ガ教えられているのかを悟りたい。
                        
カトリック赤堤教会
主任:ロワゼール
   Jean-Charles Loiselle




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